『こんな日は喫茶店ドードーで雨宿り。』疲れた心がほぐれる連作短編集

本の紹介

仕事でミスをしたり、理不尽な移動や解雇で悩む人。自分に自信が持てず、卑屈な考え方しかできない人。客観的な見方が出来ず、自分だけがなぜ不運なのか。と悲劇のヒロインになっている人。そんな日々の生活で疲れた人たちが、導かれるように訪れる喫茶店での物語。

店主のそろりが『あなたの悩みに合ったメニュー』でお待ちしております。

内容説明(裏表紙より)

お一人様専用カフェ「喫茶店ドードー」には、

今日も頑張りすぎてお疲れ気味のお客さんが

逃げ込んでくる。

せっかちな性分で同僚に苛立ち、急ぐあまり

仕事でミスをしてしまったり、

つい気遣いのない言葉を友人にかけてしまい

後悔したり・・・

心が雨の日は、あなたも喫茶店ドードーで

雨宿りしていきませんか?

店主のそろりが腕によりをかけて作った

「あなたの悩みに効くメニュー」を用意して

今宵もお待ちしております。

美味しい料理に心がほぐれる連作短編集

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主な登場人物

そろり

喫茶店ドードーの店主。お客様の悩みに合った料利でおもてなしをする。

礒貝 陸子

70歳の女性。フリーデザイナーとして働いている。喫茶店に飾られたドードーの水彩画を描いた人。

ドードー

店内に飾られ、水彩画で描かれた鳥。飛べない、走るのも遅い事から絶滅している鳥。

米沢 夏帆

事務の仕事をしており、来客が来られた時にお茶出しをしている。

三嶋 和希

昔から汗を手で拭うと発疹が出てしまう体質。真夏のある日に、父親を亡くす。

徳永 夕葉

オンラインショップのコスメ部門で働く。夫・大志と30歳半ばで結婚したため、子供を授かることは諦めている。

鈴元 朱莉

社会人6年目で、食器やカトラリーの卸会社に勤めている。自分に自信がなく、悲観的な考え方をする。

こんな人に読んで欲しい

日々の暮らしに、心が疲れている人

仕事がうまくいっていない人

自分にコンプレックスなどの不満がある人

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あらすじ※ネタバレ

君が正解のオムレツ

米沢夏帆は幼少期からせっかちな性格で、工作や図工の時間では誰よりも早く作り上げては、先生に提出するようなタイプだった。

しかし、完成品を見ると上手に糊付けがされていなくて、所々で糊付けが上手くされていない場所が剥がれていたり、粘土で友人の仮面を作った時は、雑に作ったせいで猿と間違われたりしていた。

その性格は大人になっても変わっていなかった。来客用のお茶出しの際、お客様別に温かいお茶、冷たいお茶など好みに合わせて出す必要があったのだが、些細なミスから出し間違えてしまう。

そんな中、仕事のできる先輩が結婚の為、寿退社をすることになった。夏帆はその先輩を慕っており、一緒に仕事ができなくなる事を悲しむ。コロナ禍と言うこともあり、テレワークで冗談を済ませるケースが増えた分、お茶だしなどの仕事は減っていたが、人員補填の為に新入社員がくる事がわかった。

新入社員としてやってきたのは、榊はづきという女性。夏帆とは正反対で、仕事はマイペースだが丁寧で、お客様からの評判もよかった。

夏帆は、そんなはづきをよく思っていない。指導をしなければいけない立場なのはわかっているが、仕事が遅いはづきに自分の仕事を任せる事に抵抗を持っていた。

そんなある日、会社帰りに寄り道をしたら喫茶店ドードーを見つける。店前に置かれているメニュー表には「君が正解のオムレツ」と書かれている。意味がわからなかったが、お店の雰囲気も良く、お一人様専用と書かれていたので、落ち着きたい気分だった夏帆は喫茶店で夕食を済ませることにした。

喫茶店ドードーの店主・そろりの優しい話し方と温かい店内の雰囲気に押され、夏帆は自分のせっかちな性格が原因で、仕事でミスをしてしまっている事、新しく来た新人をよく思えない事を打ち明ける。

すると、店主のそろりがメニュー表にあったオムレツを出してくれた。夏帆は「君が正解のオムレツ」の名前の由来をそろりに尋ねると、そろりはこう答えた。「何度も何度も試行錯誤して作ったオムレツなのです。レシピには黄身と白身を混ぜて作るよう書いてあったのですが、どうも上手くいかず、結局の所は黄身だけを使って作ったら上手にできたんです。自分なりにアレンジをしたから正解にたどり着いた。だから君(黄身)が正解のオムレツなのです」

そろりは続けてこう言う。「何度も何度もやり直せばいいんですよ。時間はかかっても、糊をつけ直して完成させればいいんです」

それを聞いた夏帆は自分に当てはめて考える。急ぐだけが正解じゃない。何度も何度も試みて、アレンジを加えて良い仕事をすればいいのだと。

傷つかないポタージュ

真夏のある日、三嶋和希の父親が亡くなった。コロナ禍と言うこともあり、お通夜と葬儀は親族のみで行なった。母が喪主を務め、和希の役割は参列してくれた親族のサポートやバスへの誘導などを行う。和希は出来るだけ汗と涙は流さないような心がけていた。なぜなら、それらを手で拭うと、手に発疹が出てしまうから。

葬式も無事終わった頃、和希のもとに一通の手紙が届く。送り主には昔の友人である柏木美帆の名前が書かれていた。以前から陶芸の仕事をしていると聞いていたが、元気にしているのだろうか。

中身を開けてみると、個展の知らせと案内状が入っていた。真夏に外出するのはあまり好きではないけれど、せっかくなので個展に顔を出してみることにした。

個展の会場に着く手前で、和希はぞっとする。その個展会場は急な上り坂の上にあったのだ。真夏に汗をかく事はしたくないので引き返そうか迷ったが、ここまで来て帰るのは馬鹿馬鹿しいと思い、個展会場まで向かう。入り口が目に入った頃、会場では賑やかそうな人たちが美帆と楽しそうに話している。その光景を見た瞬間に、心拍数が急上昇し胸が苦しくなる感覚に襲われた。結局、和希はその場を逃げるように引き返すことにしたのだった。美帆には申し訳ないと思い、念の為にメッセージでまた改めて訪れると断りを入れておく。

と言っても季節は真夏。引き返すのも億劫になったので、近場で休んで帰ろうと周りを見渡すと、木陰に佇み涼しげな喫茶店を見つける。和希は取り敢えず涼むために立ち寄ることにして、喫茶店に向かう。

喫茶店の前には看板があり、そこには「きゅうり冷えてます」と書かれていた。喫茶店なのにきゅうり?と疑問に思いつつ外から中を除くと、1人の男性が庭でタライを置き、氷水をはった中にきゅうりを浸していた。

その男性は様子を伺っていたが和希に気付き、店主のそろりだと名乗る。そろりは熱った顔をした和希をみるなり、冷えたきゅうりを差し出し、食べるよう促す。

氷水に浸されていたきゅうりは冷んやりしていて、口に入れた瞬間にパキッと音を立てて折れた。味付けも何もしていないのに、甘さを感じられあっという間に最後の一口になってしまった。

店主のそろりは「開店準備中だから、こんなものしか用意できない」と言うので、和希はまた改めて訪れる事を約束してその場を後にする。内心では、この暑い中また訪れることはないだろうと思っていた。

美帆に日を改めると言った手前、申し訳なささもあり陽が沈みかけた時間帯に訪れることにし、もう一度個展に足を運んだ。時間帯も遅いことから、以前のように入り口には人がおらず、個展は静まり返っていた。中に入ってみると、ほとんどの絵は売れていて、残り数点が残っているだけだった。

こそで美帆から父親が亡くなったことを心配される。それと同時に、美帆を陶芸の世界に導いてくれた恩師が亡くなったことを聞き、美帆は同じ境遇で辛いけれどお互い頑張ろうと励ましてくれた。しかし、和希は父親と恩師の死を同じ目線で考えて欲しくないと思い、美帆の気遣いが裏目に出てしまう。

結局、和希は個展に出向いた事を後悔し、その足で喫茶店ドードーに向かった。前回は看板に「きゅうり冷えてます」と書かれていたが、今回は「傷つかないポタージュ」ありますと書かれており、名前だけみるとどんなメニューなのかわからず、名前の意味を聞くため店内に入った。

店内には店主のそろり以外にもう1人、年配の女性が座っていた。その女性は礒貝陸子と言い、傷つかないポタージュを勧めてきたので、そろりに注文するのと一緒に名前の由来を尋ねる。

そろりは優しい笑顔で「傷つかないポタージュ=冷製きゅうりのポタージュ」だと教えてくれた。きゅうりは前回訪れた時に頂いたきゅうりで、それをポタージュにしたそうだ。そろりは続けてこう言う「冷製は冷静にかけているんです」と。また「きゅうりは体内の余分な水分や熱を体から出してくれる働きがあるから、それと一緒で誰かにかけられて傷ついた言葉や落ち込んだ気持ちをキュウリの効果で外に出してしまえばいいじゃないか」と言った。それを聞いた後に頂いたポタージュは、とても美味しくて自然と心が落ち着き冷静になれた自分に気づく。

美帆から言われた言葉たちが、体温と一緒に体から出ていくのがわかり、気づけば手に残っていた発疹の赤みも引いているように感じた。

礒貝陸子が言う。「今度から汗をかく前にハンカチを手に持っておけばいいんじゃないかな?そうすれば、手で拭うこともないし発疹が残ることもない」言われてみればその通りだった。一度冷静になって考えることも大切なのだと気づく。

時を戻すアヒージョ

徳永夕葉は、自分が出産したする夢を見た。目を覚ますと、スマホに母親からメッセージが届いており「梓ちゃんが子供を連れて帰ってくるから、あなたも帰ってこれないかしら?」との事だった。梓は夕葉より一回り年下の女性で、昔から家族付き合いのある友人だった。そんな梓が出産して地元に帰省するらしい。久々に会う梓が帰ってくると言うので、夕葉も実家に帰省することにした。

その途中で、喫茶店ドードーと書かれたおしゃれな喫茶店を見つけた。看板にはきのこのアヒージョと書かれており、そそられたが寄らずにその場を後にした。

夕葉は美大を卒業した後、編集プロダクションの会社に就職した。しかし、かなりの激務が続いたせいで心身ともに疲れてしまい、今はオンラインショップのコスメ部門で働いている。

30歳半ばにして夫の大志と結婚をしたのだが、結婚をした年齢が年齢だったので、子供は諦めようと夫婦で話していた。しかし、夕葉の母親は孫の顔が見たかったのか、梓が連れてきた子供を心から可愛がっていた。その光景を見ていると、母親は孫の顔が見たいのではないか、もしかすると大志も子供を産んで欲しいと思っているんじゃないかと、出産の夢を見ただけに気になり始める。

梓はなかなか子宝に恵まれておらず、不妊治療の末にラストチャンスで子供を授かった。そんな梓から夕葉も不妊治療を受けたらどうかと勧められるも、最初から諦めていた夕葉にとっては余計なお世話で、幸せそうな梓の価値観を押し付けられるのが嫌だった。

そして、梓は夕葉の会社が出している美容液に関心をもっていた。梓は「以前から気になっていたの」と言うので、夕葉は子供にも使える成分だから梓と子2人で使えるわよと勧めるも、すでにママ友達から教えてもらったベビーオイルを使っているから大丈夫とやんわり断られる。「気になっている」と言う言葉は使い勝手がよいのだ。関心はあるけど買おうとは思わない程度の事なら、気になっているの一言で済むのだから使い勝手がいい言葉だ。

しかし、一瞬のことではあったが梓がぼんやり遠い目をしていた瞬間があった。それは梓と一緒に来た旦那さんが、子供を寝かしつけようとあやしている時だった。今まで幸せそうに微笑んでいた梓だったのが、なぜか悲しくも取れる様な目をしていた事が少し気になっていた。

ある日のこと。会社で大きなトラブルがあり、夕葉の担当しているコスメ部門が無くなることになった。夕葉はオンラインショップが立ち上がった時から勤めていたため、別の部門に移ることになるのかと思っていた。しかし、期待とは全く違う答えが下された。

それは、夕葉を解雇してフリー契約にすると言うことだった。また、夕葉の代わりに同寮の坂口妙子にオンラインショップを任せると言った。妙子は雑貨類全般をとりまとめており、シングルマザーのためお金を稼がないといけない、その反面で夕葉には子供がいないし、多少稼ぎが減る可能性があるが、夫婦共働きの2人から生活には困らないだろうと言う理由から会社が判断したのだ。それらの事を妙子もいる場所で言われた事もあり、夕葉は苛立ちが隠せなかった。

もちろん、夕葉夫婦も余裕があるわけではない。それなりに出費もあるためギリギリの生活をしている。また、妙子がシングルマザーだから特別扱いされる理由がわからないと、妙子にもきつく当たってしまった。しかし、結果的に会社の答えは変わらなかった。

何も考えたくない気持ちで、夕食すら作ることが億劫になってしまい、ちょうど大志が出張で不在だった事もあったので久々に外食をしようと思い家を出る。そして、以前気になっていた喫茶店ドードーに行ってみることにした。

看板には「きのうのアヒージョ」とかかれている。たしか先日見た時はきのこのアヒージョだったような、、、そんな謎めいた気持ちで店内に入る。店内には他に客はおらず、店主のそろりがキッチンに立っていた。

夕葉は看板に書かれたメニューの名前が間違えている事を伝えると、そろりは優しく「間違えてはいないのです」と言った。不思議に思いながらきのうのアヒージョを頼むと、出てきたのはパスタだった。今回こそ間違えている、アヒージョを頼んだのにパスタが出てきたことを話すと、「このパスタは昨日のアヒージョを和えて作ったパスタです。昨日の味をまた楽しめるから時を戻せるアヒージョなのです」と答える。

夕葉はパスタを食べながらそろりに今の気持ちを打ち明けた。梓が自分の価値観から幸せを押し付けてくる事。会社から理不尽な解雇を言い渡された事、そして妙子にキツイ言葉をかけてしまったこと。そろりは優しく話を聞いてくれた。

食べ終えた夕葉が会計を済まそうとした時、そろりが渡したいものがあるといい奥の方から何かを持ってきた。それはワイヤーで作られたハンガーだった。そろりが言うには、ワイヤーで作られているから自由に形を変える事が出来るんです。ひし形にしたり、元に戻したり。

言葉は一度言ってしまうと元には戻せないから慎重に話さないといけない。だから一度言葉にする前に考えるのです。その言葉を言って相手はどう思うのかを、それの訓練をすればいいのです。何度も戻ってはやり直して。

それを聞いた夕葉は気づく。立場が違う人から断定的な事を言われたら嫌なくせに、自分も同じことをしていたんだと。立場が変われば考え方も変わる、だから知らない事も知る必要があることを。時を戻せるなら同僚に言った言葉をやり直したい。

店を出たあと、スマホにメッセージが届いてることに気づく。梓が2人きりで食事に行こうとの事だった。それと一緒に、梓が気になっていると言っていた夕葉が担当しているコスメの商品を嬉しそうに持った写真が添えられていた。

梓が考え込む顔をしていたのを思い出し、梓には梓の思いや考えていることがあると気づく。そして梓の話をゆっくり聞こうと決め、会う約束をした。

自信が持てるあんバタートースト

鈴元朱莉は幼い頃から内向的な性格で、趣味は漫画を読むことだった。よく読んでいたのはドラえもん。どこでもドア、タケコプター、タイムカプセルなど様々なアイテムを見ては、自分も使えたらなと思っていた。その中でも特に欲しかったのは「とうめいマント」である。

現在、朱莉は食器やカトラリーの卸会社に勤めて6年目の社会人で、今日は久々に仕事が定時に終わったので以前からインスタで気になっていた洋服を買いに行こうと決めた。最近はコロナの影響でテレワークで済む仕事が多くなり、会社に出社する機会が減っていたので、外出用の服を買うのは久々の買い物になり、心がワクワクしていた。

その店は、インスタに上げられている通りにおしゃれな外観で、外から店内を眺めるだけでも煌びやかに見えた。店内に入ると、飾られた洋服たち全てが可愛く見え、どれも美しい曲線を描いた気品のある服に見える。そんなことを思いながら店内を見ていたが、誰も朱莉の存在に気づいてくれない。店内には他にもお客さんがいて、それぞれに店員が付き対応しているが、朱莉には見向きもしない。もちろん、レジ付近には他の店員がいるのだが、気付かれていないので対応をしてくれない。朱莉は、自分が場違いな見た目や存在だから気付かれていないのだと悲しくなり、気付かれないまま店を出た。

昔から朱莉は自分に自信を持てておらず、特に取り柄もない自分の顔にコンプレックスを持っていたのだ。

会社を出る時はとても気分がよかったのに、今はすごく落ち込み悲しい気持ちでいた。そのまま家に帰る気にもならず、帰り途中で見つけたらチェーン店の喫茶店に入ることにした。そこでシナモンロールとコーヒーを頼み、注文品が出てくるのを待っていたのだが、一向に来る気配がない。バイト定員に確認をすると、オーダーミスで注文が通っておらず、再度待つことに。そして遅れて出てきたシナモンロールは思っていたものとは違い、硬く美味しくなかった。コーヒーも煮出し過ぎているせいか苦くて飲めたものではなかった。バイト店員からの謝罪もなかった。

立て続けに嫌な事が起き、足取り重く帰っている途中である女性とすれ違う。たまに通勤時にバスで乗り合わせる女性だ。とても品があり、朱莉では選べもしない上品な服装もしっかり着こなしている。手足も長く、背もすらっとしていて、顔も整った美人の女性。

あんな女性なら、洋服店に入っても服や店内の雰囲気には負けない美しさで、店員からも歓迎されるだろう。喫茶店で注文してもすぐに商品が運ばれてくるだろう、たとえオーダーミスがあったとしても、バイト店員は謝ってくれるに違いない。

朱莉は昔からとうめいマントを羽織っている。いや、正確には羽織らされている。誰も朱莉の存在には気づいてくれず、孤独で寂しい日々を送っているのだ。

ある日、インスタで「マスク時代の眉メイク」という講座があることを知り、少しでもとりえのない顔が華やかになるならと申し込みをしてみる。なぜこの講座にしたかと言うと、朱莉には生まれつき頬にアザがあった。幼い頃、母からは「神様のキスの跡なのよ」と言われていたが、思春期になるころから頬のアザがコンプレックスに変わっていた。コロナのご時世で、マスクをする機会が増え、幸いな事にアザを見られる機会が少なくなっていたので、眉メイクの講座を選んだのだ。

朱莉が希望した時間帯の講座では、お客が朱莉1人だった。講師の女性は2時間マンツーマンで教えてくれると言ってくれたので、朱莉は期待に胸を膨らませた。

しかし、講座を受けるにあってマスクを外すよう言われる。マンツーマンの環境なので、仕方なくマスクを取りメイクの指導を受けるが、講師はアザを隠すことに必死でファンデーションやコンシーラーの塗り方ばかりを指導され、結局は眉メイクの指導と言えば、終わり間際にさらっと書き方を教えられただけで2時間が終わった。

講座が期待はずれに終わり、また不運な自分に落ち込みながら帰宅している途中で、喫茶店ドードーを見つける。店の前にある看板には「自信が持てるあんバタートースト」と書かれており、気になったので店内に入ることにした。

店内に客はおらず、店主が優しい声で「ようこそ喫茶店ドードーへ」と挨拶をしてくれたのを聞いて、自分の存在を認識してくれたことで安堵する。そしてあんバタートーストを頼んだ。

出てきたトーストは、たっぷりのあんこの上に四角いバターがとろけ、手に持っただけでふかふかなトーストなのが伝わってきた。食べると、程よく甘くてバターの塩気が丁度良いあんバタートーストだった。

店主のそろりに、なぜ自信が持てるあんバタートーストなのか名前の由来を聞いた。

そろりは嬉しそうな顔で「このあんこには砂糖を使ってないんですよ、パンは米麹を入れて醗酵させています。米麹を入れることでデンプンが分解され糖分に変わるので甘くて美味しいパンができるのです」それを聞いた朱莉は、そう言うことなのかと驚きながら、どこか安堵した気持ちになった。そして、自分の悩みを打ち明ける。どこに行っても相手にされない事、コンプレックスがある事、幼い頃からとうめいマントを羽織っている事。

それを聞いたそろりは言う「自信の意味をしっていますか?それは自分を信じる事です。米麹の作用と一緒で、あなたの特性を活かせば、それが旨みになり、自信に繋がるのです。」続けて、「とうめいマントを自在に操れる手段を身につければ良い。マントを自分の意思で脱いだり被ったり出来れば、堂々とどこでも行けますよ。そのためにも、自信を持つことが大切なのです。」

それを聞いた朱莉は、顔のアザも目立たない性格も全部自分なんだ、胸を張って生きなければいけない。たまにはマントの力を借りて世間に紛れ込むのも悪くない。自信の持てるあんバタートーストを食べたからきっと大丈夫。と自分自身に言い聞かせた。

春一番のコトダマ

そろりは万年筆で手紙を書いていた。癖のある時は読みにくいと言われるが関係ない。この手紙は自分宛に出す手紙だから。

そろりは、昔から吐き出しきれない気持ちを、手紙にして残してある。それは、郵送もされず開封もしない手紙。

そろりは喫茶店ドードーの開店前を思い出していた。この喫茶店には小さな額があり、そこには飛べない鳥のドードーの水彩画が描かれている。ドードーの名前の由来は「のろま」飛べないだけでなく、足ものろいため子孫を残すことが出来ず絶滅してしまった。 

そんな事を考えている時、常連客でフリーデザイナーをやっている礒貝陸子がやってきた。陸子はコロナ禍でも忙しそうで、今はホテルのトータルデザインを任されていた。

陸子は普段から優しく落ち着きのある女性だが、今日は珍しくそろりに愚痴をこぼした。

睦子が請け負っているホテルの担当者から連絡があり、デザインの相談があるのでホテルまで来て欲しいとのことだった。ホテルで待ち合わせをした担当者の菅沼理子は、客室ごとに日当たりの時間帯が違うので、部屋ごとにルームウェアのカラーを変えたいから、デザインし直して欲しいとの要望をしてきた。そのアイディアに陸子は大賛成だった。

打ち合わせの帰り、街中で見知らぬ男性から声をかけられた。それは、まだ陸子がデザイン学校を卒業しデザイン会社に就職して間もない頃、会社に仕事を依頼してきた男性だった。

その男性は、陸子の仕事ぶりを知り「すごいですね!」と褒めたが、陸子は嬉しく思っていなかった。

陸子はそろりに言う。「すごいですね!」は自分が下に見ている人に使う言葉で、あの程度の人がここまでやれるようなになったなんて、と言われている気がして嬉しくないのだと。

陸子は続ける。私はハルキになろうと思う。そろりは意味が分からず聞き返すと、「ハルキ=村上春樹のこと」誰もが知る作家さんで、積み重ねてきた実績は周知の上、誰も村上春樹にすごいじゃないですか!なんて言わないから。だなら私はデザイナー界の村上春樹になります。ハルキになって、唯一無二の存在に。

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